昨日の夜は2時に目が覚めてから、なんだかいろいろと考えて眠れなくなる。地元の先生方の高齢化により、市の文化祭のお茶席がどんどんさびしくなってきている。昔は四席もあって、お茶を習っている人から、そうでない人までたくさんのお客さんで会場はいっぱいだったのに。今では、一席あるか、ないか?になってしまったよう。後継者が育っていなかったんだなぁ、茶道というものが現代の暮らしと本当にかけはなれたものになってしまっているんだろうなぁ、、、なんてことを延々と考えていた。
茶人であるだけであれば、自分の好きな茶碗ひとつあればことたりるのかもしれない。でも、教える立場となるとそれだけではまったくもって足りないわけで。
お茶の先生として、過去の教えを忠実に後世に伝えることは大切なこと。でもそれには、道具と場と機会が必要。お釜から棚、風炉先屏風にお軸に花器に灰器に炭に懐石の道具・・・必要な道具がたくさんあって、それをまた置いておくスペース、手入れをすることを考えると、、、お茶の先生になるって相当な覚悟が必要だと思う。特に代譲りでなくて、一代からはじめるとなるとさらに大変だ。それを負担、大変だと思っているようでは、先生にはむいていないということかもしれないケド。