昨日、先生から連絡があり、千葉そごうの17代 永楽善五郎展へ出かけることに。今日は、朝チチ海へ出発、ハハとマメは朝ごはんを食べて旭へ〜。の予定だったのだけど、5時前に出発のチチとマメは一緒に行くことに。
先生とそごうで待ち合わせて、空いているうちにお昼を食べることに。「にっこり まっこり」で石焼ビビンパ定食。ちょっと多いかも?と思ったら、先生も「あなた半分食べない?」と言われたので、多いのかなと思ったけど、先生も残さず食べてた。すごい。会場に戻り展示を見て、お呈茶をいただく。それにしてもお茶の先生方ってみんな本当に元気でびっくりしちゃう。永楽善五郎さんの講演が15時からということで、2時間近く時間をつぶさなきゃ・・・と思ったけど、先生が1時間前には行きましょうというので会場に戻ると、講演待ちの列がすでにできていました。すごい盛況。
講演の内容は、永楽家の歴史、自分がどのようなものをつくっていきたいと考えているかというお話。

先生は向付けを購入。先生と電車にのって旭へ帰る。今日のお稽古は何時からに?と先生。あの・・・今日はもうつかれて・・・とお稽古は明日のみにしてもらう。先生すごすぎます。もうすぐ88歳とは思えない。元気だなぁ。にいたに駅に迎えにきてもらって先生を送っていく。
マメは、姪っ子たちと一日楽しく遊んだそう。

保育園の着替えいれ、今週旭で作るつもりで、先週布をにいたにもっていってもらったら、けいちゃんが作ってみてくれたのだけど・・・うーん、ちょっと〜というわけで、全部糸をほどいて作り直し。旭のミシンが古すぎて、私が作り直しても微妙な仕上がりに・・・機械が違うとほんとに出来がちがっちゃうのね。夜12時頃までがんばって作り上げた。ミシンいまさらだけどほしいなぁ。でもとりあえず、つくらなきゃいけないものは、作り終えたしなぁ。

本日の講演・・・・・・・・
17代 永楽善五郎展(千葉そごう)
「永楽家と作品」
17代 永楽善五郎 1944年生まれ永楽家長男
楽家、450年前 室町末期 土風炉師として武野紹鷗の好みものを作ったのがはじまり
焼き物をはじめたのは、1700年代 江戸時代になってから。
9代までは、土風炉(宗全)のはんこが押してある
10代 了全10歳前後で両親を亡くし、千家にあずかってもらって育つ。現物を見るのが困難な時代に千家より焼き物など手本となるものを借りて、千家の注文にこたえてつくりはじめる。
室町末期にベトナムから入ってきた交趾、青磁などをつくる。交趾を得意としていた理由としては、京都では登り窯をかまえることが難しく、内釜、家の中で焼けるものということもあった。
保全の代で「永楽」の印を拝領する。(「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印と「永樂」の銀印(普段用)を拝領)金襴手と瑞祥を得意とした。
三井記念美術館には250点の永楽作品が保存されている。
和全 21歳で継いで、40代で隠居。野々村仁清に深く傾倒し、のぼり釜をつくり、仁清スタイルの焼き物をつくった。
明治大正 女性がお茶の正解に増え、華やかさが求められた。
妙全(女性) デザインを担当し、食器類の作品も増える。
17代 永楽善五郎
永楽というと華やかなものを想像される方が多いと思うが、お茶をやっているとわびたものを作りたいという願望もあり、いくつか高麗茶碗も作っている。
時代によって、材料、時代背景、好みが違ってくる。
つくりたいと思っているのは、よりはんなりしたやわらかい感じのお茶碗。薄茶のお茶碗に必要な広間でのあでやかさ、はなやかさと落ち着きがあるものをつくっていきたい。
茶事をするようになって使って楽しいものをと思うようになった。難しいのは、自分の作りたい、自分の作品を見てほしいというアーティスト的な感覚で作るの物と、お茶の道具を作ることとは、ちょっと違うということ。己のおもむくままにつくるというのができないヂレンマがそこにはある。今は、より楽しく作ろうと考えている。